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福岡高等裁判所 昭和25年(ネ)92号 判決

控訴人 坂田政雄

被控訴人 馬場ムメ

主文

原判決を左のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し金八万五千一円を支払はなければならない。

控訴人より被控訴人に対し賃貸中の佐賀市松原町八幡小路一四五番の一、一四六番の一八、一四六番の一九、地上建込みの家屋番号一番、木造瓦葺二階建店舗兼住宅一棟、建坪三〇坪、外二階一二坪の昭和二八年六月一日以降の賃料を一箇月金四千四百八十九円と確定する。

控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分しその三は控訴人の負担としその他は被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、第一次の請求として「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し主文第三項掲記の家屋を明渡し、且つ昭和二六年一月一日以降右明渡済に至るまで一箇月金六千円の割合による金員を支払はなければならない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」という判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を、予備的請求として「控訴人より被控訴人に賃貸中の主文第三項掲記の家屋の昭和二六年一月一日以降の賃料を一箇月金六千円と確定する。被控訴人は控訴人に対し金十七万四千円を支払はなければならない」という判決を求め(家屋明渡以外の右請求はいづれも当審において拡張したもの)、被控訴代理人は「本件控訴並びに控訴人の拡張に係る請求はいづれもこれを棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」という判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は次の事実を追加する外原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

(控訴人の追加陳述)

(一)  控訴人は訴外村島勘一から本件家屋を買受ける際被控訴人が右家屋を賃借しこれに居住中であることは承知していたが、被控訴人において該家屋を買取ることができないため他に転居することになつている旨を聞知したので控訴人がこれを買受けたのである。

控訴人は本件家屋を買受けて後被控訴人に対し本件賃貸借の解約申入をした際、全部の明渡ができないなら右家屋の内被控訴人において必要のない二階及びこれに通ずる通路だけでも明渡してくれと交渉したけれども、被控訴人はこれさえ承諾しなかつたのである。又村島勘一は生計困難なため本件家屋を売却することになつたのであるが、同人はまづ借家人たる被控訴人に対し買取の交渉をしたところ被控訴人は借家も解放農地と同様低廉に買取ることができるようになるものと考えて村島の交渉に対し誠意を示さなかつたので、村島はやむなく控訴人に売渡したのである。

控訴人は本件家屋を買受けるため生じた借財を支払う必要上佐賀県佐賀郡川上村字平田にある所有家屋を訴外木下広久に売却したところ、被控訴人において本件家屋を明渡さないため木下に対し右売却家屋を明渡すことができず、そのため同人との売買契約は解除されたので、更に昭和二五年五月二五日その家屋を訴外大財平次に売却し佐賀市西魚町八〇番地の借家に転居した。しかしこの借家は畳数十六畳であるが家財道具を置いているので実際居間として使用のできるのは十畳位であつて、家族は九名であるから甚だ狭隘である。これに反して本件家屋は畳数三十四畳で被控訴人の家族は同居の親族を加えて六名に過ぎないから、居間は充分余裕があるし、且つ店舗も相当広い。なお控訴人はもと湯屋営業をしていたが、妹副島クイが数名の子供を抱え生活に困つていたので、その妹に湯屋営業を経営させ妹一家が湯屋の居間の部分に居住している。

以上の事情並びに原審において主張した事情を考合せると、本件賃貸借を解約すべき正当の事由は充分具備するものと信ずる。従つて本件解約申入は有効である。

(二)  仮に右解約申入が無効だとしても、本件賃貸借は被控訴人の賃料不履行を原因とする解除により終了したものである。すなわち、

(イ)  本件家屋は昭和一三年以前の建築に係るものであつて、同年以前に建築した家屋の賃料統制額は、昭和二二年九月一日物価庁告示第五四二号により同日以降従前の統制額の二、五倍に、昭和二三年一〇月九日同庁告示第一〇一二号により同月一一日以降前同様二、五倍に、昭和二四年六月一日同庁告示第三六八号により同日以降前同様一、六倍に各修正され、昭和二五年八月一日同庁告示第四七七号により同日以降は本件家屋のような店舗については賃料の統制が解除された。そこで前所有者時代の本件家屋の約定賃料月額五十円を基礎として該家屋の賃料統制額を算出すると、昭和二二年九月一日以降は月額百二十五円、昭和二三年一〇月一一日以降は月額金三百十二円五十銭、昭和二四年六月一日以降統制解除までは月額金五百円となる。

ところで家賃は一般物価に比較して著しく低廉であつて家屋の管理費すら償い得ない実情であるから、賃料の統制額が修正された場合は一般借家人は家主の賃料増額の請求に異議なく応諾するか、或は増額の請求がなくても進んで修正率に従つて賃料を増額し、恰も当然修正率どおり当事者間に賃料の値上がなされたように取扱う実情であつて、それが慣習となつているのである。従つて本件家屋の賃料も統制額の修正に伴い当然前記の額に増額されたものといわなければならない。

しかるに被控訴人は昭和二三年一〇月分以降の賃料を支払はないので、控訴人は被控訴人に対し昭和二五年九月三〇日付内容証明郵便を以て、右昭和二三年一〇月分以降昭和二五年七月分までの延滞賃料を、前記修正統制額によれば合計金九千二百七十五円となるべきところそれより内輪に合計金七千百八十四円として、同郵便到達後五日以内に支払うよう催告するとともに、もしその期間内に支払はないときは本件賃貸借を解除する旨の条件付契約解除の意思表示をなし該郵便はその頃被控訴人に到達した。しかるに被控訴人は昭和二五年一〇月四日従前の約定賃料月額五十円の割合で昭和二三年一〇月分以降昭和二五年九月分までの賃料合計金千二百円を弁済のため供託したに過ぎないから、本件賃貸借は右解除により終了したものである。

(ロ)  仮に右解除が無効だとしても、本件家屋は店舗であるから前示のとおり昭和二五年八月一日以降該家屋の賃料統制が解除されたので、控訴人は同年九月頃訴外小林勝秀を通じて被控訴人に対し賃料増額の請求をしたところ被控訴人は言を左右にしてこれに応じなかつた。しかし本件家屋の右増額請求後の賃料は一箇月金六千円を相当とするから該増額請求により右の額まで増額されたものである。よつて控訴人は昭和二九年九月一一日付内容証明郵便を以て被控訴人に対し、右増額賃料より内輪に、昭和二五年一二月分以降昭和二六年九月分までは月額金千九百六十五円、同年一〇月分以降昭和二七年一一月分までは月額金二千九百八十八円、同年一二月分以降昭和二九年八月分までは月額金四千四百八十九円の割合による合計金十五万五千七百五十一円から、被控訴人においてすでに月額五十円の割合で供託した金額を控除した残額を同郵便到達後四日以内に支払うよう催告するとともに、もしその期間内に支払はないときは本件賃貸借を解除する旨の意思表示をなし、該郵便は翌一二日被控訴人に到達した。しかるに被控訴人は同月一七日金二百五十円を弁済供託したに過ぎないから、本件賃貸借は右解除によつて終了したものである。

(三)  敍上のとおり本件賃貸借は解約又は解除により終了したにかかわらず、被控訴人は本件家屋を不法に占拠しこれを明渡さないため、控訴人は一箇月金六千円相当の損害を蒙つている。よつて被控訴人に対し本件家屋の明渡並びに昭和二六年一月一日以降右明渡済まで一箇月金六千円の割合による損害金の支払を求める。

(四)  仮に以上の請求が理由がない場合には、前記増額請求による昭和二六年一月一日以降の賃料を一箇月金六千円とする旨の確定並びに昭和二六年一月一日以降昭和二八年五月三一日までの右割合による延滞賃料合計金十七万四千円の支払を請求する。

(被控訴人の追加陳述)

(一)  控訴人主張の(一)の事実中、控訴人が佐賀郡川上村字平田にある所有家屋を訴外木下広久に売却し、その後その売買が解除されたため更にその家屋を訴外大財平次に売却して現在佐賀市西魚町八〇番地の借家に居住していることは認めるが、その余の事実は否認する。控訴人主張の湯屋営業は現在も引続き控訴人が経営しているのであつて控訴人の妹が経営しているのではない。控訴人は相当の資力を有し親族中には有力者も多く且つその職業上の地位からいつても適当の転居先を物色することは比較的容易であつて、現在の借家生活は暫定的措置に過ぎない。

これに反して被控訴人は無資力で家族は九名もあり本件家屋を明渡すときは只一の収入源を絶たれる結果となるのでその明渡は到底困難である。それ故被控訴人は本件家屋を買取るべく努力したのであつて現在もなおその希望を持つている。控訴人は被控訴人が本件家屋の一部の明渡請求にすら応じなかつたと批難し解約の正当性を強調するけれども、被控訴人は病弱の寡婦であつてその上胸部疾患の妹も抱えているので一部の明渡も困難であるのみならず、控訴人の訴訟外におけるこれまでの策謀から考えると一部の明渡はやがて全部の明渡を余儀なくされる結果となる。

従つて本件解約は正当の事由によるものではないから無効である。

(二)  控訴人から二回にわたりその主張のような内容証明郵便を受領したこと、被控訴人が控訴人の賃料催告に対し約定賃料月額五十円の割合で弁済供託をなし催告どおりの額を弁済しなかつたこと及び控訴人から賃料増額の請求を受けたことは認める。しかし賃料増額の請求を受けたのは昭和二五年一一月頃のことである。又賃料統制額の改定に伴い従前の賃料が当然改定統制額どおり増額される慣習はない。控訴人は右賃料増額の請求をした際一箇月の賃料を金八千円と申出でたので、被控訴人はそのように法外な要求には応じられないが相当額の賃料はこれを支払うから賃料の増額を請求する以上は本件賃貸借を確認してもらいたいと答えたところ、その後控訴人より何等の申出もなかつたのみならず、本件家屋の賃料額は本訴の判決によつて確定されるのであるから、被控訴人としてはそれまでは一応従前の額を支払えばよいという考えで昭和二三年一〇月分以降昭和三〇年一月分までの賃料を数回にわたり月額五十円の割合で供託したのであるから、賃料の不履行を理由とする解除はいづれも無効である。

(三)  控訴人主張の不法占拠の事実並びに損害の額はこれを争う。

(証拠)〈省略〉

理由

本件家屋はもと訴外村島勘一が所有していたものであつて、同人は該家屋を期間を定めないで賃料一箇月五十円の約定で被控訴人に賃貸していたところ、昭和二三年一〇月七日控訴人がこれを買受けて右賃貸借関係を承継したことは当事者間に争のないところである。以下各争点について判断する。

一、賃貸借解約の申入について。

控訴人が昭和二三年一〇月七日本件家屋を買受けて後直ちに被控訴人に対し自己使用の必要があることを理由として本件賃貸借の解約申入をしたことは当事者間に争がない。そこで右解約について正当の事由があるか否かを検討するに、原審証人村島勘一、池田五郎、村島ヒチ、堤多一、木下広久、副島クイ、田久保磨盛、馬場シモ、当審証人大財平次、原審及び当審証人小林勝秀の各証言、原審及び当審における当事者双方本人尋問の結果並びに各検証の結果を綜合すると次の事実を認定することができる。

(1)  控訴人は昭和一五、六年頃から佐賀市西魚町八〇番地にある訴外堤多一所有の浴場建物及びその裏にある住家各一棟を同訴外人から賃借し、右住家に居住し食糧営団(後に食糧公団と改称)佐賀支所に勤務する傍ら右浴場建物において湯屋営業を経営していたところ、農地改革が実施されることになつたので昭和二一、二年頃子供等を右借家に残して妻とともに郷里佐賀県佐賀郡川上村字平田にある所有家屋に転居し同地から食糧営団佐賀支所に通勤し妹副島クイをして湯屋営業に従事させていた。しかるに郷里にある所有農地が国に買収されたので佐賀市内において商業を営む目的で家屋を物色中たまたま訴外村島勘一が生計困難なため、本件家屋を売却すべく被控訴人にその買取方を交渉したが不調に終つたことを聞き、被控訴人が該家屋を賃借し住居及び青果商の店舗として使用中であることを知りながら、被控訴人に転居の意思があるか否かを確めることなく慢然他に転居するものと軽信し、村島から本件家屋を買受けた上直ちに被控訴人に対し本件賃貸借解約の申入をなし家屋の明渡を求め、その後更に全部の明渡ができないなら店舗以外の部分全部又は二階全部を明渡してくれと要求したけれども、いづれも被控訴人の承諾を得られなかつた(控訴人が被控訴人に対し転居先の提供その他被控訴人の居住及び営業を保障するに足る相当の考慮を払つた事実を認むるに足る証拠はない)。

(2)  被控訴人は昭和一〇年七月頃村島から本件家屋を賃借し、爾来同家屋において青果商を経営し近頃は相当の売上をみているのであるが他に資産収入なく、もし本件家屋が人手に渡れば一家の生計さえ脅かされることになるので、本件家屋を買取るべく知人に依頼して村島との交渉並びに金策に努力したが、資金の調達が思うに委せず寡婦のこととて決断に欠げ、且つ被控訴人及び長男が病気にかかつたため交渉が遷延しついに不調に終つた。

(3)  控訴人は本件家屋買入のため生じた借財を弁済するため郷里にある所有家屋を他に売却したので、昭和二五年五月頃佐賀市西魚町の前記借家に転居した。この借家のうち住家の分は居間としては一〇畳及び六畳各一間で控訴人方の同居親族は九名であるからこれだけでは住居として甚だ狭隘であるが、浴場建物には階下に六畳二間、四畳半一間の居間があり二階に一五畳位の間があつてこれに畳七枚を敷いているので、階下には控訴人の親族を居住させてはいるけれども適当の手入及び部屋割をすれば控訴人の同居親族の一部の居室等にあてることもできるし、控訴人は現にこの階下の一部で米穀販売業も営んでいる(もつともこれらの借家については賃貸人堤多一から同人の娘に使用させるという理由で返還の請求を受けているが、強い請求とも見受けられないし本件証拠によつては控訴人において返還せざるを得ないほどの事情があるとは認められない)。

(4)  本件家屋は床面積一〇坪余の店舗の外居間としては階下に八畳及び四畳半各一間、三畳一間、二階に八畳及び六畳各一間あり(この外居間とはいえないが店舗の隅に畳三枚を敷いている)被控訴人方の同居親族は八名であつて、居間は控訴人方よりも余裕があるけれども、親族間の場合と異り他人同志の相住居としては部屋割に困難な点もあり、且つ控訴人の依頼を受けて被控訴人に明渡の交渉をしたものの中には新聞記者又は米軍関係者の肩書を振廻す等不快な言動をなすものがあつたため、被控訴人は一部の明渡要求にも応じなかつた。

前示証人及本人の供述中敍上の認定に反する部分は信用することができないし、他に該認定を左右するに足る証拠はない。

以上認定のとおり、控訴人が被控訴人において本件家屋を賃借し住居及び営業のため使用中であることを知りながら、被控訴人に転居の意思があるか否かを確めないで該家屋を買受けた上、直ちに賃貸借解約の申入をなし家屋の明渡を求めたことは、賃借人の権利を無視した一方的態度であつて、少くも甚しく軽卒の誹を免れない。しかもその後においても転居先の提供その他被控訴人の居住並びに営業を保障するに足る相当の考慮を払つた事実も認められないのである。もつとも控訴人の一部明渡の要求については当時の住宅逼迫の事情を考えると被控訴人に全然譲歩の余地がなかつたとはいえないが、前認定の事情で被控訴人がその要求に応じなかつたことにも相当の理由があるものといわなければならない。又控訴人が本件家屋買入のため生じた借財を弁済するため郷里にある所有家屋を売却し、現在手狭まな借家に居住していることについてはその不便を察するに難くないけれども、これ亦他人の賃借中の家屋を不用意に買受けた結果に外ならない。その他前認定の諸般の事情を考え合せても本件賃貸借を解約するに足る正当の事情があるとは認められないから本件解約申入はその効力がない。

二、第一次の賃貸借解除について。

被控訴人において昭和二三年一〇月分以降の本件賃料を支払はないため控訴人が昭和二五年九月三〇日付内容証明郵便を以て被控訴人に対し、昭和二三年一〇月分から昭和二五年七月分までの延滞賃料を金七千百八十四円として同郵便到達後五日以内にこれを支払うよう催告するとともに、もしその期間内に支払はないときは本件賃貸借を解除する旨の意思表示をなし、該郵便がその頃被控訴人に到達したこと、及び控訴人が本件家屋を買受けた当時の約定賃料は月額五十円であつて、被控訴人は昭和二五年一〇月四日右約定賃料額に従い昭和二三年一〇月分以降昭和二五年九月分までの賃料合計金千二百円を弁済のため供託したことは当事者間に争がない。

控訴人の前記催告にかかる延滞賃料の額は右約定賃料の額の六倍余にあたるのであるが、控訴人は「家賃の統制額が改定された場合にはこれに伴い改定統制額どおり当然家賃が増額されたものとして取扱う慣習があるから、本件賃料も数次の家賃統制額の改定に伴い当然改定統制額どおり増額されたものであるから、増額後の賃料の範囲内で支払を催告したものである」と主張するのである。しかし控訴人主張のような慣習が存在することについてはこれを認むべき何等の証拠もないから、右催告は約定賃料額を超える部分については無効といわなければならない。そうして約定賃料の範囲においては催告期間内に被控訴人において弁済供託したこと前示のとおりであつて、この供託が有効であることは弁論の全趣旨に徴し明なように控訴人も自認しているのであるから、右催告を前提とする本件解除はその効力がない。

三、第二次の賃貸借解除について。

被控訴人において、昭和二五年一二月分以降の本件賃料を支払はないため控訴人が昭和二九年九月一一日付内容証明郵便を以て被控訴人に対し、昭和二五年一二月分から昭和二六年九月分までは月額千九百六十五円、昭和二六年一〇月分から昭和二七年一一月分までは月額金二千九百八十八円、昭和二七年一二月分から昭和二九年八月分までは月額金四千四百八十九円の割合による合計金十五万五千七百五十一円の延滞賃料から被控訴人において約定賃料額の割合ですでに供託した金額を控除した残額を同郵便到達後四日以内に支払うよう催告するとともに、もしその期間内に支払はないときは本件賃貸借を解除する旨の意思表示をなし、該郵便が翌一二日被控訴人に到達したことは当事者間に争がない。

成立に争のない乙第九号証の一乃至四、同第一〇号証の一乃至五によれば、被控訴人は控訴人の右催告にかかる延滞賃料のうち、昭和二五年一二月分以降昭和二九年三月分までは該催告前七回にわたり約定賃料額の割合で適法の弁済提供を経て供託し、昭和二九年四月分以降同年八月分までは右催告期間の満了日の翌日にあたる昭和二九年九月一七日適法の弁済提供を経て供託したことが認められる。そうして本件家屋は住居並びに店舗に供せられているいわゆる併用住宅であつてその店舗の床面積が一〇坪を超ゆることはすでに認定したとおりであるから、昭和二五年七月一一日政令第二二五号による改正後の地代家賃統制令第二三条の規定により右七月一一日以降本件家屋については家賃の統制が解除されたのである。

その後控訴人が被控訴人に対し賃料増額の請求をしたことは当事者間に争がなく、当審証人小林勝秀(第二回)の証言によればその増額請求をしたのは昭和二五年一〇月頃であることが認められる。そうして当審鑑定人松尾貞之の鑑定の結果によれば、本件家屋の右増額請求後たる昭和二五年一二月一日以降昭和二六年九月三〇日までの賃料は月額千九百六十五円、昭和二六年一〇月一日以降昭和二七年一一月三〇日までの賃料は月額金二千九百八十八円、昭和二七年一二月一日以降の賃料は月額金四千四百八十九円を以て相当と認められる。

ところで、控訴人が本件家屋を買受けて後家賃の統制額は数次の改定によつて逐次増額されついに本件家屋のような一部の借家については統制が解除されたこと及び家賃の統制額は一般物価に比べて著しく低廉であること等の事情と考え合せると、右認定の相当賃料額は土地及び建物に対する租税その他の負担の増加並びに土地及び建物の価格の昂騰その他経済事情の変動によるものであつて、従前の約定賃料は著しく不相当であるから借家法第七条所定の賃料増額の事由があるものというべく、控訴人の本件賃料増額の請求は適法であつてその増額請求後における昭和二五年一二月分以降の賃料はそれぞれ前示認定の額と確定すべきである。

そうすると右確定額と同額の支払を求めた控訴人の前示催告はその額において適法であるに反し、被控訴人は従前の約定賃料額に従い供託したに過ぎないから催告にかかる延滞賃料はまだ完済されていないこと明である。しかし賃料増額請求後の相当賃料の額については賃貸人及び賃借人の立場や事情の相異により意見を異にする場合が多く、双方の意見が一致しなければ結局判決によつて確定する外はないのであるから、賃貸人が自己の相当とする増額請求後の賃料額に基き延滞賃料の催告をした場合に、その額を不相当とする賃借人が判決により確定されるまで一応従前の賃料額に従い延滞賃料を弁済しても、著しく信義に反し賃貸借の存続を困難ならしめる特別の事情がない限り賃貸借解除の事由とはならないものと解するのが相当である。このことは賃貸人の催告にかかる賃料額が増額請求後の賃料額として客観的に相当と認められる場合においても同様であつて、ただその額が判決をまつまでもなく一般に相当と認められる場合の如きは右にいわゆる特別事情のある一場合に該当する。

これを本件についてみるに、当審証人小林勝秀の証言及び当事者双方本人尋問の結果に本件口頭弁論の全趣旨を斟酌すると、控訴人は本件解約申入により本件賃貸借は終了したという立場を堅持し家屋の明渡を受くることを念願として賃料又は損害金の請求を差控えていたのであるが、このままでは家屋明渡の請求を維持することが困難なため、前示認定のとおり家賃の統制額改定に伴い当然本件賃料が増額されたものとして約定賃料より著しく高額の賃料につき第一次の催告並びに解除の通告をなし、次で昭和二五年一〇月頃月額八千円に賃料を増額する旨の請求をしたので、被控訴人はその額が不当に高額であるのみならず本件においては増額賃料の額は本訴の判決によつて確定さるべき関係にあるため、その確定があるまでは一応約定賃料額に従つて弁済し確定後不足額を弁済すれば足るものと信じ、約定賃料額に従い供託したものであることが認められる。もつとも本件家屋について家賃の統制が解除された当時の本件賃料の統制額に比較しても本件約定賃料は著しく少額であるから賃料額の確定前においても右統制額程度の賃料を弁済するのが相当であつて被控訴人が約定賃料額に従い供託をしたことは一見甚だ不当のようであるが、前段認定の事情によればそれは被控訴人の思慮の至らなかつたためであつて不誠実な意図によるものとは認められないから、敍上のような事情における不履行を以て本件賃貸借の存続を困難ならしむる程の信義に反した行為と断ずることはできない。又被控訴人が昭和二九年四月分以降同年八月分までの延滞賃料を供託したのは先に認定したとおり催告期間満了日の翌日であるけれども、この程度の遅滞を以て賃貸借を解除することはかえつて信義の原則に反するものといわなければならない。従つて第二次の本件賃貸借の解除もその効力がない。

以上説示のとおり控訴人の本件賃貸借の解約申入及び各解除の意思表示はいづれもその効力がないから、右解約又は解除の有効なことを前提とする本件家屋明渡並びに損害金の請求は失当として排斥しなければならない。

四、予備的請求について。

控訴人の賃料増額の請求後における相当賃料額はすでに確定したとおりである。従つて右確定額によれば昭和二六年一月一日以降昭和二八年五月三一日までの本件賃料は合計金八万六千四百五十一円であつて、被控訴人が従前の約定額に従いすでに供託した右期間内の賃料は合計金千四百五十円となるから、被控訴人はその差額金八万五千一円の延滞賃料を控訴人に支払う義務がある。又昭和二八年六月一日以降の本件賃料の額は前説示のとおり月額金四千四百八十九円と確定すべきである。それ故控訴人の本件延滞賃料並びに増額請求後の賃料額確定の請求は右限度において正当として認容しその他は失当として排斥を免れない(ことに賃料額確定の請求中右延滞賃料の請求にかかる当該賃料については、賃料の給付判決を求める以上重ねて賃料額の確定を求める法律上の利益がない)。

よつて本件家屋明渡の請求を棄却した原判決は相当であるが、その他の本訴請求は当審において拡張されたものでその一部を認容しその他は棄却すべき関係にあるので、原判決を変更するのを相当と認め、民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 竹下利之右衛門 高次三吉 厚地政信)

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